千年祀り唄
―無垢編―


1 もっこ


点々と続く切り株の群れ。
風は小道を巡り、橡の枝葉と戯れている。

黒い着物を着た若い男が一人。
切り株の一つに腰を下ろすと、細い植物の茎を懐から取り出した。
竹筒に蓄えていた液体に、それを軽く浸す。

空に満ちる光。
鳥の声は過去を囀り
橡の実が一つ
風に乗って彼の足元に転がった。

男は指を立てて風向きを確かめると
手にした茎をそっと唇に当てた。
その先端は細かな網目となり、
隙間に絡む光の蜜は若葉のにおいがした。

鳥は羽ばたきを止め、高い木の枝でゆったりと羽を休めている。
野の花は、豊かな色彩を誘って疎らに咲いた。
淡い被膜に映る影。
澄んだ上澄みだけを掬い、
やさしい記憶だけを通す風の手形……。

彼は目を閉じると、その茎にそっと息を吹き掛けた。
すると、その先端から広がった光の輪が男の手を離れ、水の命を幾つも生んだ。
空に放たれた気泡は陽の光を浴びて、玉虫の煌めきを増した。

生まれてすぐに消えた命……。
生まれる前に流された命……。
赤子の魂を宿した虹の気泡……。

「おいで」
男が呼んだ。

――うふふふ
――あはは

透明な玉が弾けると、もっこ達は幼子の姿になって、男の前に現れた。

生まれた日。
閉じたままの瞳。
生まれる前から見ていた長い夢。
叶えられなかった記憶を持って、彼らは男を取り囲んだ。

――あそぼう
――あそぼう
――なにしてあそぶ?

もっこの一人には足がなかった。
羊水の中に忘れてきたのか、
井戸に落とされた時、それを失くしたのか、
今は誰も知る由がない。
男はそれを抱き上げて草原を歩いた。

脇に差した刀の柄に結ばれた紫の組み紐。
その先端が揺れる度、
ちりりちりりと小鈴が鳴った。

――あれはなに?

もっこの一人が空を指さす。
「お日さまの光」
男が答える。

――あれはなに?

別のもっこが森を指す。
「木だよ。枝には葉がたくさんついて、実をつけるよ。その木がたくさん集まって森になるんだ」

――これはなに?

今度は足元に咲くそれを指さして訊く。
「花だよ。赤。白。黄色。きれいだね」
男が言うと、もっこ達も言った。

――きれいだね
――あか、しろ、きいろ。きれいだね

「ほら、どんぐりが落ちてる。これでこまを作ろうか」
男がその実を拾って微笑する。

――どんぐり! ここにもあったよ
――みつけたよ

彼らは、くすくすと笑いさざめいて男のあとに付いて行く……。

花をつみ、草笛を吹いて、わらべ唄を唄った。
手遊び、影踏み、かくれんぼ。

生まれなかった時間を生きるために……。
束の間の時を彼に委ねて……。

――おまえ、だれ?

夕日の赤さに照らされて、抱かれたもっこが男を指した。
「おれの名は……無垢」
そう言うと、若い男は睫毛を伏せた。
前髪は眉に掛かり、長い髪は刀と同じ紫の紐で束ねられていた。

――むく?

もっこが呼んだ。

――むく

それは、夢幻の谷の道しるべ……。
この世にもあの世にも存在しない者……。

――おとがきこえる
――あれはなに?

もっこ達が指さす。
森の向こう、
天下を取ろうと
砂埃に塗れて上がる鬨の声……。

煙る因縁の風が
この場所まで聞こえた。
御旗のために消える命。
それを支える女達の嘆き。
そして、消える子どもの命……。
「あれは戦。人間が武器を持って戦う」

――いくさ?
――それってなあに?

しかし、無垢は首を横に振った。
「行こう。あれは覚えなくてもいいものだから……」
そうして、無垢は背中を向けて歩き出した。

――いこう
――いこう。あれはおぼえなくてもいいものだから……

柔らかな風が草の葉を揺らす。
花の香りと土の色。
生まれたばかりのもっこ達を連れ、無垢は谷を渡って行った……。